>>568
福田恆存さんが演劇入門って著書で言われる通りに、客も演者も書き手も誰もが自分が主役になろうとして主役を演じようとして孤独になるわけだよ。そこにSNSって安易に孤独を埋めてくれるツールが出てきた。でも結局はそこでも誰もが主役になろうと演じるから孤独になる。その孤独を埋めるために自分が主役であると主張するセリフを書き連ねる。そして孤独になり、孤独を埋めるために悲しい独唱を言い続ける。そしてそこには消費者と生産者という資本主義の繋がりしかないのに、だれもが何かしら資本主義を超えた何かがあるような幻想を見ようと努力する。でも演劇の世界だろうがアニメの世界だろうが1970年代以降の商業主義の先鋭化によって、そんなもんはないわけだ。そんな資本主義の呪いを超えるものがアニメにあるとすればそれは1971年に手塚先生を企業主義のアニメによって否定したアニメーター達から今に続く流れを憎む手塚先生のファンの憎悪だけ。この憎悪だけがアニメの資本主義という呪いを超えれる。この憎悪より深い炎が今の声優さんらや声優ファンにあるならそういうお金以上のなにかという幻想を見れば良い。でも悲しいかな。それは幻想なんだ。